- 2018.03.14
高品質なデジタルサービスをデザインするために欠かせない、質の高いUX調査サービスを目指したら、人類学の調査にヒントがありました。このシリーズは、UX調査サービス開発を担当する2人がそれぞれの経歴を活かしてより質の高い調査を追求する議論を記録したシリーズ。第一回目は「インタビュー調査の足りないこと」。
登場する人
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Kawakita Natsu
川北奈津・UXディレクター。静岡大学情報学部卒業。情報科学芸術大学院大学(IAMAS) メディア表現研究科修士課程修了。作品制作・展示活動、広告制作会社勤務を経て、現在に至る。UX/IA部マネージャー。UXリサーチサービスの品質を上げるべく日々奮闘しています。
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Higa Natsuko
比嘉夏子・人類学者。北陸先端科学技術大学院大学 知識科学系 助教。京都大学博士(人間・環境学)。人類学者/エスノグラファー。オセアニア島嶼をフィールドとして人間の行動や価値観を研究してきた傍らで、広くデザインやリサーチなどの業界にも関わりつつ、人間理解を深める手法を探究中。
無意識な行動を見つけたいなら、インタビュー調査だけでは足りない
川北 企業のWEBサービスやマーケに関わるUXデザインをお手伝いしていると、最近は特にユーザについて深く知りたいという需要を強く感じています。これまでもアンケート調査やアクセス解析は実施してきたんですが、中でもユーザをより深く知るためのインタビュー調査が増えているなと。そこで今回は、私がやっているユーザインタビューのモヤモヤをスッキリに変える糸口を見つけたいと思います。
比嘉
モヤモヤをスッキリですね。A.C.O.のUXチームの議論と被ってしまうかもですが、改めてよろしくおねがいします。
ところでなんでユーザインタビューって増えてきたんですか?
川北
それは単純にA.C.O.がPRと営業を頑張っているからです(笑)
でもそれだけじゃなくて、市場トレンドが大きく関係していると思います。たとえばこれまである程度成功したWEBサービスを、より良いものにリニューアルしようと沢山ある解決を並べてみたけれど優先順位を付けられないとか、デジタル事業に本気で予算付けたけど、ターゲットユーザが何を求めているのかわからないとか。ならユーザを深く知るための調査に時間と資金を投じよう、ということがあるようです。
比嘉 確かに技術は進化したけど、ユーザつまり人間のことは置いていかれているようなデジタル社会の課題は感じますよね。幸せに向かっている気がしないというか…。
川北
そうですね。
ところで、ユーザインタビューをしていてずっとモヤモヤしていることがあるんです。
比嘉 どんなことですか?
川北 例えば、こちらが質問した答えがあまりにも想定通りだったりすると「なんだかあまりにキレイ過ぎて本当のことを言ってないのかなぁ」って思っちゃうんですよ。質問したことの返答が本心じゃないことが透けて見えたとき、どうすればいいのかとモヤモヤしています。
比嘉
確かに私も経験があります。
人類学のような調査をしていても、「模範的過ぎるな」と感じる回答はありますね。事前に整理された知識の引き出しから、丁度よい知識を取り出して説明してくれる、なんて場面です。こっちはそういうことじゃなくて素直に感じた戸惑いとか悩みとか、その人自身の生々しい経験とか、そういうのを聞きたいなって思って尋ねているんですけどね。
川北 そんなとき、どうにかしてホンネを聞き出すんですか?
比嘉
いえいえ、無理やりホンネを聞き出そうとはしません。いったん諦めます(笑)
インタビューではなくて、別の調査をします。それはこの人の言ってることが実際どんなふうに起きてるのかを注意深く観察したり、同じ話について別の人はどう言っているかを聞いてみたり。インタビューとは違う調査を組み合わせて、状況を多角的に検証するんです。
まぁ大概、人が言ったことと実際していることはズレてますから (笑)。
川北 本人はウソついてるつもりがないんですよね、きっと。
比嘉
そうなんです。
別に「ウソつくぞっ!」て思ってなくても、微妙にずれていたりとか、言い尽くせていないとか。そういうことって誰でもありますよね。だから、いろんな手法を組み合わせて調査を設計することが有効なんです。
川北
なんだか少しスッキリしてきました(笑)
話してもらっていることの真偽にはとらわれず、自分が引っかかったことがあれば、それを裏付ける方法を探してみるのが良さそうですね。インスタの行動ログや、twitterの発言ログも貴重なデータになりますね。
比嘉 A.C.O.が依頼されるようなユーザ調査の場合、調査計画の段階でインタビューの比率を大きくしすぎたり、ましてやインタビュー以外を行わないということだと、無意識な行動を知ろうとするUX調査の品質が下がってしまうリスクを感じますね。
そもそも人が演じることは、自然な行動だ
川北
無意識な行動を知る調査には、エスノグラフィがあります。
エスノグラフィは普段の自然な行動だったり、日常生活ではどんな風に調査対象のサービスを使っていたりしているかなど、その人の生活に入り込んで観察する方法ですが、これをインタビューと組み合せる、ということですね。
比嘉 そもそもインタビューって、本人が気づいていること以上のことは出てこないですよね。それはインタビューの限界です。それに対して、調査対象者の頭の中が整理されていないデータをこちらが拾いに行く作業、それがエスノグラフィです。
川北 エスノグラフィって街でやってみると怪しげなかんじに見えますよね。堂々としたストーカーみたい(笑)
比嘉 確かに(笑)
川北
ところで、エスノグラフィにもモヤモヤしたものが。
一番の違和感は、その観察する対象者が「演じているな」と感じる時がある。無意識な行動じゃないなと…比嘉さんは多くのエスノグラフィ経験の中で、調査対象者が演じちゃうときに、どう対処しています?
比嘉 結論から言うと、これも諦めています。
川北 え?
比嘉
諦めるというと言い過ぎかもしれませんが、「人はそもそも演じることは自然な行動だ」と捉えています。
私が以前、ポリネシアの島でフィールドワークをしていたとき、半年位経って村中のみんなが私のことを「Natsuko !」って呼んでくれるようになったんですね。でもそれでもやっぱり一部の村の人たちは本当のことを言っているとは思えない、どこかで演じているように感じていました。
川北 Natsukoにはカッコいいとこ見せたい!っていう心理なんですかね?
比嘉
それだけじゃなくて、ゲストをもてなしたいという気持ちもあると思うんです。
人類学者の人たちの間でも、そういうことについての議論は沢山してきたんですよ。みんながなかなか本当のことを言わないとか、本当の姿を見せてくれないとか。でも学者だって透明人間じゃないので、どうしたって対象者は見られているぞ、聞かれているぞっていう意識が少なからずある。調査する人間が影響を与えてしまっている、ということです。
川北 どんなケースでも手法でも、演じるってことを避けることはできない、ということですね。だとすると、エスノグラフィを捉えればいいんでしょうか?
比嘉 そうですね。たとえばエスノグラフィとは「実験室」の真逆なものだ、と理解するのはどうでしょうか。
川北 実験室?
比嘉
実験室は、結果を得るためにノイズの無い環境をつくろうとしますよね。
一方で人類学の調査は、研究者だと名乗ってその場所に行き、コミュニティに入って調査をするしかない。でもそのコミュニティで行われることが普段通りなのかはすごく怪しい。だから調査する人と調査される人との関係を認めて調査をする、ということです。
川北 潜入調査でもしない限り難しそう…自然な姿を捉えるのは難しいということは、演じてしまわないようにするって、やっぱり難しそうですね。
比嘉
難しい、というより不可能ですね。
だって下手したら家族同士でも親友同士でも、時に演じあったりしますよね。突き詰めればどんなに親密な相手でも自分の体裁をつくるものだし、よそ者ならなおさらです。だから演じていることを否定しないで、それ自体そういうものである、という理解をすることだと思います。
川北 人間を調査している以上、実験室とは違う姿勢が大切ですね。人が演じることを受け入れて分析する。なるほどしっくりきました。
インタビューとエスノグラフィを組み合せる。
インタビューと行動ログと照らし合わせる。
人が演じることは、自然なことと理解する。
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by A.C.O. UX
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