- 2016.06.16
【対談】鈴木慶太朗×田渕将吾×小山秀一郎×沖山直子
Web業界のホンネを、アートディレクターのみなさんに語っていただきました。
一見、華々しく映るWeb業界だけど、実は「ツラい!」ことが盛りだくさん。この対談企画ではA.C.O.編集部がホストとなり、自分の足で立っていながらも、その大変さを身にしみて理解する人々を招き入れ、酒を飲みながらその魅力と過酷さについて語り合う。今回のゲストは、SHIFTBRAIN Inc.・鈴木慶太朗さん、AID-DCC Inc.・田渕将吾さん、株式会社博報堂・小山秀一郎さん、そして、A.C.O.Inc・沖山直子の4人。
苦しいデザイナー時代を乗り越えた末に手にする『アートディレクター』のポジション。デザイナーたちにとっては目指すべき姿でもありますが、彼らには彼らなりの苦労が一杯! デザインへの責任を負いながらも、手を動かさず人を動かす。厳しいスケジュールのなかでもデザインのクオリティを担保し、それを説得力を持ってクライアントに説明する。求められるものはデザイナーの比ではない!?
ー みなさん、どういったキャリアを歩まれてきたのでしょうか?
田渕将吾(以下・田渕) 僕はいままでに2社のWEB制作会社で働いてて、WEBデザインやアートディレクション、コーディング面ではインタラクション性のあるフロントエンドディベロップからCMSの構築まで幅広く任せてもらいました。当時はFlash全盛期で、Flashを使って演出や表現、いまでいうUXを重視したサイト作りをやってました。その後に、今のAID-DCC Inc.に転職して、アートディレクターとして、デザインやインタラクションのディレクションをしつつ、自分でもデザインと開発をやってます。
小山秀一郎(以下・小山) 僕は3年間紙の制作をやったあと、バスキュールに入社してデジタルのデザインに携わりました。そこから博報堂に転職して、今はインタラクティブのアートディレクターとして働いています。
鈴木 慶太朗(以下・鈴木) 僕は大学在学中にグラフィックデザイン学びはじめて、4年生位からなんとなく仕事を始めてました。あ、美大とかじゃ無くて普通に経済学部だったんですけどね。で、大学卒業後から半年くらいフリーをやって、その後、制作会社に入って転職してって感じで、今はSHIFTBRAINにいます。
沖山直子(以下・沖山) 私は、いわゆる先生事務所的なグラフィックデザインの会社で、広告・書籍・CI/VIなどをやって、その後あたらしい表現・環境をもとめてA.C.O.に来ました。A.C.O.でも紙もののデザインをやるつもりだったんですが、会社の意向と社会と自分の意思いろいろがあり(笑)、いまはほぼweb、たまに紙モノという感じで、主にグラフィカルなビジュアル部分やフォトディレクションをやってます。
ー それぞれ結構異なるキャリアを歩まれているんですね。
沖山 私は紙出身だけど、最近はwebからキャリア始める人の方が多いですもんね。
小山 確かに。
田渕 僕はまさにそっちですね。
鈴木 僕にいたっては独学でキャリアをスタートしてますからね。むしろこの分野の人ってそこまで特定のキャリアパスに乗ってきたって人の方が少ないんじゃないのかな。
食事時間を管理!? 竹の棒で叩かれる!? – ハードな下積み時代
ー 確かに。言われてみればA.C.O.でも関係ないキャリアから入っている人も多いですね。とはいえ、みなさん今でこそアートディレクターとして第1線で活躍されていますが、ここに至るまでのいわゆる下積み時代には多くの苦労があったんではないでしょうか?
小山 これはたくさんあるんじゃないかな。(笑)
田渕 ありますねー。新卒入社した会社では、自分が入社した時には面談してくれたデザイナーの先輩は退職していて、1年上の先輩しかいないような体制でした。(笑)なのでデザイン面やコーディング面はほとんど独学で、目の前の仕事をこなす中で少しずつできるようになってきたような感じしたね。
誰も頼ることのできない環境で辛かったんですが、ある意味、好き勝手やってとんでもないデザインを提出しても、それを抑制する人がいない環境だったことが幸いして、毎回自由に考えてデザインさせてもらっていました。
ー ツラかったけれど成長スピードもおかげではやかったみたいな感じですかね。
田渕 そうそう。それがあったから、今でも最後に頼れるのは自分なんだって気になって踏ん張っていけている気がしています。2社目の会社は、少人数だったので、Webサイトの世界観やプランニングから全員で取り組んでいて、よくブレストしていました。そこで意見を出す時、インタラクティブなサイトの制作経験が浅い僕は、Flashでつくる世界観にだいぶ苦労しましたね。毎回ダメだしがあるのは当たり前でしたし、デザインもアイデアも一発でOKがでたことは一度もなかったです。
鈴木 あー、そういう時期ありますよね。
田渕 精神的にも体力的にもけっこうキツい時期でしたね。HTMLベースのサイトが基本になった今でもその時の考え方や世界観作りは、アートディレクションやインタラクションディレクションをする時に活かせていると思います。
小山 僕は最初の頃は、食事の時間すら管理されていた時期とかありましたね。
全員 えー!
小山 当時は、本当にしょぼいチラシのデザインをしていたこともありました。マイナーな新聞の広告欄にあるようなコオロギを増やしてお金を儲けるみたいな…。(笑)でも、あの頃やってたデザイン自体は、今となってはWebデザインだけでなく、そもそものレイアウトの基礎を作ってくれてたんだなぁって思いますね。
鈴木 僕は、美大や専門出身じゃなかったので、完全にゼロというかマイナススタートで、昔はデザイン以外に打ち合わせ・スケジュール管理・予算管理・外注管理など、とりあえずやったことないことをなんでもやってました。その分デザインに集中できなかったけど、だいぶ鍛えられましたね。
あ、あと入社して半年くらいして給料が半分くらいしか出ないところにいたこともあったな。
田渕 それブラックっていうか、完全にアウトなやつじゃないですか。(笑)
沖山 私は、竹の棒で叩かれ泣きながら文字組したとか、スペルミス気付かず入稿して回収しに都内をまわったこととか? とにかく怒られてましたね。文字のカーニングができてないと気持ち悪いとか、ほぼトラウマだと思います。(笑) そして、頑固で生意気で文句が顔にでてまた怒られる…の連続。相当めんどくさいヤツだったと思いますね。
田渕 ハードですねぇ。
沖山 でも、デザイン作業以外に、印刷会社と色校チェックしたり、請求書の準備したり、お中元の手配したり、運転手したり…とデザイン以外のことをやらせてもらった経験は、社会を知れたというか仕事の流れが勉強できたので本当にいい経験だったとは思います。
ー みなさんかなりハードな下積み時代を過ごされていたんですね。
沖山 でも、クオリティに厳しい環境にいれたことは学校で勉強できないことばかりでしたし、今でもあの経験は身にしみて役に立ってますね。
小山 確かに。むしろ、上司から圧倒的に管理される経験は必ずされるべきだと思いますよ。あとあとになって身にしみてありがたみを感じますから。
手を動かさずに人を動かす。アートディレクターの教育論?
ー そんな苦労の末に今があるわけですが、アートディレクターになると、自分が手を動かす以上にデザイナーやアシスタントといった人を動かすことも求められてくると思います。そこでの苦労話みたいなのはありますでしょうか?
田渕 すごくまじめなことを言うと、広告のデザインってデザインの期間に十分に時間がとれないことが多いですし、毎回オーダーメイドなので、アシスタントやデザイナーに任せて大丈夫なときとそうでない時があると思うんですよ。そこを事前に見極めて、すべて任せるか、分担するか、ある程度明確な指示をだすか、仕事のスケジュールそのものを調整するか、などを一緒にやる人や案件の状態によって見極めて動かすようにしてますねー。
小山 ちょっと話ずれるかも知れないんですけど、僕は絵作りがうまいデザイナーをアサインしディレクションすることで、ひとりでやるよりもクオリティの高いアウトプットにつながる気がしてます。
鈴木 あー確かに。自分とは違った領域で知識や経験があるデザイナーさんは、悩んだ時に相談できるのでそばにいるといいなと思いますね。昔はグラフィックのデザイナーと、ウェブのデザイナーは平面で絵を作るという部分が共通してたけど、そこからウェブは少しづつ変わっていて、いつの間にかグラフィックとは微妙に違う職能になってるよね。グラフィックの人は何もないところから絵を考えて創りだすことがとてもうまいし、ウェブの人はデジタルの専門知識、情報整理・構成、画面設計がうまい。組み合わせると強いよね。
小山 そうなんですよー。
鈴木 でもほんとは両方できる人がいるといいんですけどね。
田渕 あ、でも最近の若い子は両方の目を持っている人が多い気がしますね。あれは将来怖いですよ。(笑)
沖山 私は逆で、かなり助けてもらっていますね。むしろ私の方が使い物にならないときも少なくないくらい。先日も、役職や肩書きが違うということは仕事の内容も自分とは違うのでその線引きの重要さ教えてもらいました。あ、本人たちに読まれるから気を遣ってるわけじゃないですよ。(笑)
ー あ、本音で大丈夫ですよ!まずいところは全部消しておきますんで!(※消しました)
田渕 逆に質問にあったように、自分でやったほうが早いと思って、なかなか分業できない人もいると思うんですけど、ぼくはまったくそう思っていないんです。チームのほうが個々が自分のことに集中できてパフォーマンスが発揮しやすいと思うし、思いがけないアイデアとかデザインとかが出て、大きな仕事をより良い形でアウトプットできると思いますね。
沖山 そうそう。複数の視点の方がいろいろな見方ができるもんね。
ー では「アシスタントを採用する」みたいなときの苦労したエピソードとかってありますか?
鈴木 昔面接した人で、デザイン未経験だったけど、自主制作のコラージュのセンスがすごかったので、試しにそのコラージュを画像検索したらアーティストのものだったことがありましたね。(笑)
全員 マジで!?
鈴木 本当に。でも今はすぐばれちゃいますからねー。
田渕 僕はあまり経験ないんですけど、一度だけ戸惑ったのは、結構年上の外国人のアートディレクターの人が入社されたときですね。その人、ポートフォリオはすごく綺麗だったのに、実際つくったデザインはあれ?って思ったことがあって…。そのときは同僚と「どうしよう」ってずっと相談してましたね。
ー その人は結局どうなったんですか?
田渕 結局、研修期間で社風に合わないってことで辞めたんです。いまにして思えば、僕たちの望んでいたアウトプットとずれていただけで、客観的に見ればクライアントの要望をちゃんと踏まえられたデザインだったのかもしれないんですけどね。そこは僕たちの審美眼がまだ狭かったのか、それともほんとにイマイチなデザインだったのかは、もう何年も前のことなので今となってはわかんないですねー。
沖山 私が勿体ないなと思ったのは、ポートフォリオのほとんどが、アシスタントとしての作品だったときかなぁ。その作品が魅力的だったとしてもそこからは判断できないし、下手でも小さい作品でもいいので自分で考えたものが見たいですよね。
シビれるような下積み時代のお話から、アートディレクターならではの人を動かす苦労まで、三者三様ならぬ四者四様なツラい経験談が続いたVol.1。お酒がすすむにつれ、このままツラさたっぷりなvol.2へ…と思いきや、むしろ逆の展開に?
Vol.2へつづく…。
Guest
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Keitaro Suzuki
鈴木 慶太朗(SHIFTBRAIN Inc.)
1984年生まれ。東京出身。2児の父。大学で経済学を学びながら、グラフィックデザインを学ぶ。制作会社数社を経て、現在はシフトブレインでチーフデザインオフィサーとして勤務。デジタル領域のアートディレクションやデザイン、UXやUIの設計をベースに活動中。Awwwards, CSSDesignAwards審査会メンバー。
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Shogo Tabuchi
田渕 将吾(AID-DCC Inc./S5-Style™)
1982年生まれ。AID-DCC Inc.にてアートディレクション、Webデザイン、空間デザイン、フロントエンドエンジニアリングを従事するかたわらS5-Style™の名義で個人プロジェクトを細々と展開中。主な個人プロジェクトに、Webデザインポータルサイトなど。CSSDesignAwards審査会メンバー
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Shuichiro Koyama
小山 秀一郎(博報堂)
1987年生まれ。横須賀出身。紙のマス広告制作を経て、バスキュールに所属。デジタル領域のアートディレクションに従事したのち、博報堂に入社。現在はインタラクティブのアートディレクターとして勤務。個人名義でHipHopユニット「中小企業」としても活動中。
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Naoko Okiyama
沖山 直子(A.C.O. Inc.)
グラフィックデザイン事務所を経て、現在に至る。A.C.O.ではアートディレクション、フォトディレクション担当。ブランドを意識したビジュアルガイドラインなどに従事。
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Bar it
中目黒BAR IT(店舗提供)
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by Monstarlab Design Journal
Monstarlab Design Journal 編集部です。 モンスターラボデザインチームのデザインナレッジとカルチャーを発信していきます。
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Overview
×- 社名
- 株式会社A.C.O.
- 設立
- 2000年12月
- 資本金
- 10,000,000円
- 代表者
- 代表取締役 長田 寛司
- 所在地
- 〒150-0012 東京都渋谷区広尾1-1-39恵比寿プライムスクエアタワー6F